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蒼天航路 王欣太, 李學仁

[amazonjs asin=”B003DA48TS” locale=”JP” title=”蒼天航路 全18巻 完結コミックセット (講談社漫画文庫)”]

太古より天は凄いものだと言われてきている。しかしわれわれ凡人にはあまりピンとこない。よくわからないのだ。が指が凄いことはよくわかる。めしを口に持ってゆくのは指だ。美しいものに触りたい欲求を叶えてくれるのも指だ。美しい女の涙をぬぐってやれるのも指だ。指は穀物や果実や大魚を掴むことができる。珍品・宝石・財宝の類もその指に握りしめ飾り立てることができる。それだけではない。その指、その手に剣を握ればあるいは、天下をわがものにできるかもしれない。

悪徳の烙印を押された人を注意深く見よ。同時に、美徳の誉れ高き人の正体を見極めよ。読者諸氏、おのれの感性を信じよ。信じるにたるおのれの感性を磨け。その感性の中にこそ、あなたの理性と正義感が脈打っている筈だ。

よこしまな時代を救うのは、常にまっすぐな人だ。おおむね、そうした人物は時代の悪癖の前に倒れる。しかし尚それでも、倒れても前進する人々がいる。本来、それは若者たちが担い、主導権を握るべきものだ。若者よ、立て、得失を超えて立ち上がれ。今こそ、君の時代だぞ。

人の痛みが、およそ社会の要求の底辺を形作る。もしその痛みに無頓着であったならば、仕返しを受けることになる。怒りが幾星霜にも積もり重なれば怒涛の如しである。真の英雄とは人の痛みを知る益荒男であり、物事がいつか正しきに帰る事を知る者だ。だからいつも彼らが時代を切り拓くのだ。

歳月を重ねれば、人は世の中の醜さとか汚さにまみえる。青春の日の希望に満ちたあの輝きが嘘のようである。年をとってからの友情は奇跡みたいなものだと人は言う。だが明るい日の頭上の青空は、私にもう一度信じることの素晴らしさを密かに確認させる。諸君、生きていること自体が希望なのだ。

ひどい時代には、いつも強欲で傲慢な官僚がのさばる。事態の本質を掴めず自分の欲得しか考えぬ無能な政治家どもと悪徳商人たちが、それに輪をかけて時代を悪くしてゆく。

人間を大きくするのは好奇心と賢さと一介の覇気である。そしてまず人間の魂をとらえるのは、光ではなく深い闇であった。

我黙すことならず。人を脅し殺すを商いにする者、殺むるに憚らず。天も我も許さじ。

天を知らずして法に従うとは笑止ではないか!法は天意に則った時にのみ正しい。

国家の大義とは万民の大義、天下の大義なり。

乱世の死は、父親や母親とは何の関係もなく、ただ自分ひとりで覚悟せねばならん。苛酷に生きることは、苛酷に死ぬより何倍も力がいるぞ。

これより先は天下と交わろうとなさらないお方に乱世の生き場所はありません。

おまえはただみんなから好かれたいと思ってるだけの洟たらしのうつけ者だ。おまえはな、民の笑顔ではなく自分に笑顔を向けてくれる民を欲しがっているだけだ。

俺ァ一介の侠者だ。てめえの居場所を見失うこたァねえ。

死地に臨んで立ち返るべきはただ一介の侠者の武と心。見定めるべきはただおのれの生き死にの置き場。

天下の常識をこじあけるにゃ常人たちを化かしてたらし込まなきゃなんねえ。それにゃおめえの考えにもわかりやすい衣裳が必要だ。

人は生きてゆくため、次に進むため、およそ答えの出ぬ問いに、強引に答えを出してゆくもの。しかしこの人は…この人の中には、膨大な問いがただ問いのままにある。

あなたは偉人たちが解いてきた人間の美しきものを信じない。人間には深遠にして生臭い業の宿ることを、彼らは解き明かしてはいないからだ。幼い頃、あなたも身をもって知ったように、人間は人を殺すことを楽しむ。そしてその楽しみ方は果てがない。眼をえぐり、舌をぬいて、鼻をそぎ、皮をはいで腸をひきずりだしてはきりきざむ。その苦痛の様を味わうために、人の肉体を傷つける技を至芸の域にまで究めるのが人間。あなたは人間の闇を知り、この世界の闇を知り、そしてその上、自らの闇を力に変える術を知っている。

天より人。そう考えるのが俺であり、俺は俺でしかない。

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ハーモニー 伊藤計劃

[amazonjs asin=”4150311668″ locale=”JP” title=”ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)”]

優しさは、対価としての優しさを要求する。教師の、親の、周囲のすべての気遣いが、わたしを静かに窒息させている。

リソース意識、または公共的身体。

重くてかさばるのは、いまや反社会的行為なんだ。

このカラダはわたしのもの。わたしはわたし自身の人生を生きたいの。互いに思いやり慈しむ空気に絞め殺されるのを待つんじゃなくってね。

人間は進歩すればするほど、死人に近づいていく。というより、限りなく死人に近づいてゆくことを進歩と呼ぶ。

痛みをちょうだい。

自分たちが無価値であることを証明させてほしい。

人間は極端な出来事を経験してしまうと、丁度いい頃合いをとるのが難しい。反動で思いっきり逆の方向に針を振ってしまう。

意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。人間ってのは、自分が本来バラバラな断片の集まりだってことをすかっと忘却して、「わたし」だなんてあたかもひとつの個体であるかのように言い張っている。

民主主義以降、人々を律するものは、王様みたいに上から抑えつけるんじゃなくて人々のなかに移っていった。みんなが自分で自分を律することになっていったんだよ。みんなひとりひとりのなかにあるものが敵だった場合なんてわたしたちはどうすればいいの。

人は外部のシステムなくしてはその身体維持することすらかなわず、こうしてそこにつけこ込まれる状況を招いた。人は生きることに関する様々な事柄を分業化してきた。豚を狩ること、豚を解体すること、豚を調理すること。

意識と現実は同じ意味。我々が持ち得る現実など、結局は意識に限界づけられる。

報酬系が調和し、すべての選択に葛藤がなく、あらゆる行動が自明な状態=意識の消滅。判断や意志、意識の不要。すべてが自明に選び取られる、完璧な人間。

権力が掌握しているのは、いまや生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間。

向こう側にいたら、銃で殺される。こちら側にいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。

わたしたちはまずどうしようもなく動物で継ぎ接ぎの機能としての理性や感情の寄せ集めに過ぎない。

「わたし」とか意識とか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、ハーモニーを目指したこの社会に、本物のハーモニーが訪れる。

天国なるものがこの世のどこかにあるとしたら。完全な何かに人類が触れることができるとしたら。おそらく、「進化」というその場しのぎの集積から出発した継ぎ接ぎの脊椎動物としては、これこそが望みうる最高に天国に近い状態なのだろう。社会と自己が完全に一致した存在への階梯を昇ることが。

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人生と投資で成功するために ジム・ロジャーズ

[amazonjs asin=”4532352592″ locale=”JP” title=”人生と投資で成功するために 娘に贈る12の言葉”]

君には、君自身を助ける判断力が生まれながらにして備わっていて、君が歩んでいるのは誰か他の人の人生ではなくて君自身の人生だということだ。

大勢に従って成功した者は、いままで誰一人としていなかった。世間の常識を疑ってきたからこそ、儲けられたんだ。世間の常識は疑うことだ。

オリジナルな君でいてほしい。誰もやらないことをやるには勇気と情熱が必要で、誰も歩まない道を歩んだ勇者だけが成功することができる。 でも、君が正しいと思うことをするときは、それが絶対に間違っていないと思えるほど徹底的に調べてからでないといけない。

成功できない人は,常にわけもわからずに何かをしている。そうやっているうちに時間とお金を失っていくものなんだ。

世間一般の常識や慣習なんてものには従わなくてもいい。でも、道徳や社会的なルールだけは守らないといけない。それが人としてまっとうな生き方だから。

常に質の良いものを買うように。質の良い商品は長持ちするし、より価値が高い。

人がいくら儲けているか、品物がいくらだったかなどと、決して尋ねてはいけない。君がいくら儲けているか、いくら持っているかについても他人と話をしてはいけない。君のものがいくらしたかを他の人に話すべきではない。

成功するためにはまず何から始めるべきか、という質問の答えはとても簡単で、「自分の一番好きなことをする」ということだ。何よりも、自分の好きなことを一生懸命にすることが成功への近道だ。ひとつ言えることは、素晴らしい人生を歩むためには、「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」ということ。それが成功への鍵だ。

細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。だから、どんなに些細なことに見えても、小石をひとつ残らずひっくり返すようにして調べないといけない。大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしないからだ。

徹底的に調べること。それによって初めて他の人より多くの知識を得ることが出来る。それは大変な労力を要することだか、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。

株に投資するときには、全ての財務諸表に目を通し、細かい注意書きも見落とさない。経営側が発表した財務諸表や見通しに関しては、全て裏をとることにしている。

I think ではなく、I know なのだ。

危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。だからすべてのものが非常に安い。私は、そこへ自ら足を運んで、危険ではないと確かめられれば投資する。他の連中が、実は危険ではなかったと気づく前に。

大きなリターンを狙って闇雲にお金を突っ込むのではなく、周到な準備をした上で投資するんだ。

常識というのは、往々にして間違っているものだが、たまには正しいこともあるから軽んじてはいけない。大事なことは、その常識が本当に正しいのか、間違っているのかを知るために、対象を徹底的に調べるということだ。

真実を見極めるためには、手に入る限りの情報に目を通して、何が真実かを常に自分の頭で考える癖をつけておかないといけない。あらゆる報道や雑誌の偏見を解読することを学び、政府や特定の利害関係者によって何が植え付けられているかを見抜くんだ。

私は可能な限りの資料をすべて取り寄せる。テレビで見たこと、新聞で読んだことで疑問があれば、それを調べるために世界中のどこでも出かけて行った。

常識はそれほど常識ではない。

それが人気があるからというだけで、「見るべきだ」「やってみるべきだ」「読むべきだ」と言われるものはすべて避けるべきだ。人口の半分の人たちの知性は平均以下だということを覚えておきなさい。

いつだって政治家には注意しなさい。彼らは学生時代、休憩時間や放課後は優秀だったかもしれないが、卒業してからは何も優れた点がない。

イギリスだけしか知らないものにイギリスが本当に理解できるはずがない。他を知ることで、他から眺めてみることで、観察は深まるんだ。

投資家としての私はいつも、「どこが弱気か」を探している。 何が正しくて何が悪いかは、立場や視座が違えば変わってくる。自分で判断することが大切なんだ。

歴史を学んで、外の世界を見なさい。歴史は繰り返し、人類は常に変わらない。似たようなことはいくらでも起こってきたし、これからもまた起こるだろうということだ。心して歴史を学びなさい。いままでに世界で何が起こって、何が起こらなかったか、しっかりと学ぶのだ。これから世界で何が起ころうとしているかを知るために。そして、実際に起こっていることを知るために、世界へ旅立ってほしい。

投資でも他の分野でも成功するには、何をさておいても、自分というものがわかっていなくてはならない。どんなときに冷静な判断ができて、どんなときにできないのかなど、自分の事を知っていなくてはならないんだ。どういう状況に追い込まれたら、自分が冷静さを失ってパニックになるかを知っておくことは大切なことなんだ。

君はどうか群集心理にかられることなく、事実関係をしっかり調べて、冷静に状況を判断してほしい。そのためには、群れから離れるべきときを知り、一人で考えることだ。 マーケットで起こるヒステリーの渦中で自分を見失うことは、お金を失うということ以外の何物でもないのだ。

バブルはヒステリーのうちに弾け、暴落はパニックで幕を閉じる。

もし、何かで成功したいのならば、滅びゆくものに賭けてはならない。それに多くの時間や情熱、お金を費やしても、滅んでしまえばそれまでなのだ。

もし君がお金を借りることがあれば、期日どおりに返済しなさい。可能であれば、繰り上げて返済してしまった方がよい。

信用があるというのは極めて重要なことなのだよ。信用がなければ、君は何年にもわたり悩むことになる。

誰もが株は死んでしまったのだと信じ込んでいた1982年に、株を買い始めた。ほとんどの人は私が気でも狂ったのかと思ったようだ。逆に私は彼らが奇妙に思えば思うほどうれしかった。それは、私が大衆に逆らっているという証だからだ。大衆の考えや真理に逆らうこと、自分で考えることこそが、投資で成功する秘訣なのだ。大衆に従ってはいけない。こんな簡単なことを守るだけで、君は成功に近づけるんだ。

夢に向かって歩き始めたら、ひたすら努力しなさい。それが君の宿題だ。成功したければ、宿題を怠ってはいけない。おごってはいけない。懸命に学ぶんだ。学べば学ぶほど、君は自分が知っていることがいかに少ないかを知るだろう。そうすれば、君はおごり高ぶったりせずにすむはずだ。

食事をすませてから、スーパーマーケットに行くように。

大きな流れを見ること。ビッグチェンジがあるところに、ビッグチャンスがある。それを見極めるためには、自立した考え方をし、疑問を持つことだ。

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自分の中に毒を持て 岡本太郎

[amazonjs asin=”4413090101″ locale=”JP” title=”自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)”]

自信があるわけじゃない。ただ自分をつらぬくんだ。それは絶対なんだ。実力、チャンスがなくてもけっこう。素直に悲しむしかない。

過去の蓄積は積みへらせ。自在さを失うな。無一物、無条件になって、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。

成功することが人生の目的であり、メリットであるように誰もが思っていたし、教育された。だがそんなことに少しも価値があるとは思わない。

死に対面する以外の生はないのだ。

挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者。オリてしまったやつには新しい人生などない。ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないだろう。

誰もが何かしなきゃいけないと思っている。

「お遊び」では駄目なのだ。全生命、全存在を賭けて、真剣に、猛烈に遊ぶのでなければ、生命は燃えあがらない。いのちがけの「あそび」と、甘えた「お遊び」とは、まったく違うのである。

しかしどんな時代のどんな状況のなかにだって、熱っぽく語りあい、問題意識をわけあう仲間がいた方がいいに決まっている。

人間だから、花だから、と区別することはない。いのちの共感は一体だ。

意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうに今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。

人間は他の動物よりも進歩している存在にみえるかも知れないけど、不安や恐怖を抱かずにはいられない、悲しい運命を背負っている。逆に人間のほうが他の動物より辛い、寂しい生き方をしているのは確かだ。

人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどいうのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。

名もない人間のほうが、よっぽど無条件な精神力をもって、世界に挑むというファイトをもち得る。

この世の中には、完成なんてことは存在しないんだ。世の中を支配している“基準”という、意味のない目安で他人が勝手に判断しているだけだ。

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉が大嫌いだ。

この地球上には辛いことばかりじゃないか。難民問題にしても、飢えや、差別や、また自分がこれこそ正しいと思うことを認められない苦しみ、その他、言いだしたらキリがない。深く考えたら、人類全体の痛みをちょっとでも感じとる想像力があったら、幸福ということはありえない。

なぜ冒険家は一時的なものだけに身体を張り、永遠に対して挑まない、賭けないのだろう。
「冒険」--それは甘えだ。

貧しいことは、苦しいかもしれないが、無条件に生きている人は素晴らしい。みじめに思うことはない。

人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。

制約の多いところでこそ自分のしたいことをするのが本当の行動になると思う。むしろ社会や周囲の全部が否定的であればあるほど行動を起こす。

自分たちの仲間で、誰かまっすぐに、平気で発言するものがあると、たとえ正しい言葉であっても、何となく反感を覚えて、引きおろしたり、けん制したくなったり、素直に認めようとはしない。卑小なイビツ根性。やがてお互いにちぢかんでしまう。

自由に、明朗に、あたりを気にしないで、のびのびと発言し、行動する。それは確かにむずかしい。苦痛だが、苦痛であればあるほど、たくましく挑み、乗りこえ、自己をうち出さなければならない。若い時こそそれが大切だ。この時代に決意しなければ、一生、生命はひらかないだろう。

いままで、ぼくはずいぶん闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。つまらなくなったことは確かだ。

変えようと思っても、変わらないのは事実なんだ。だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいをつらぬいている。

ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。

いま世間で芸術と思っているのは、ほとんどが芸術屋の作った商品であるにすぎない。

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。

コミュニケーションというのはそもそも本質的に無条件なものだ。無償、無目的であるべきものだ、とぼくは考える。ところが今日では、すべてが経済的メリット、それに材料を提供するというだけの面で処理されてしまう。そこに人間存在の孤立化を逆に拡大しているという感じが生まれてくるのだと思う。

人間の生命、生きるという営みは本来、無条件、無目的であるはずだ。何のためにこの世に来たのか。そして生きつづけるのか。本当をいえば、誰も知らない。本来、生きること、死ぬことの絶対感があるだけなのだ。

本当の芸術の呪力は、無目的でありながら人間の全体性、生命の絶対感を回復する強烈な目的をもち、ひろく他に伝える。無目的的だからこそ。

ぼくがここで問題にしたいのは、人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、いま現時点で、人間の一人ひとりはいったい本当に生きているだろうかということだ。

個人財産、利害得失だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは、逆に蹴とばしてやりたくなる。

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浦村(三重県鳥羽市) 日帰り旅行

2011年2月27日
伊良湖からフェリーで三重県鳥羽市浦村まで、牡蠣を食べに行きました。
食べ放題で値ごろなお店はたくさんありますが、目当ては「生牡蠣」、ということで中山牡蠣養殖場を目指して出発しました。

 

 

 

タクシーで移動。5人のれました。

 

中山牡蠣養殖場。生、焼き、ともに100円。

 

 

 

 

 

 

焼けるまでにだいぶ時間がかかります。その日は黒板に食べる数をかいてから3-40分待ちました。

 

 

中山牡蠣養殖場から歩いて近くの悠季の里でお風呂に入りました。ぬるっとしたベリーグッドなお湯でした。鳥羽駅までの定時送迎バスがあり、利用させて頂きました。

 

 

アイスを食べました。美味しかったです。

※生牡蠣はおなかの弱い人や、体調の悪い人には注意してください。不安な人は焼き牡蠣を食べましょう。