NetflixのThe Daysを見て憂鬱になりながら、結局最後まで見ました。福島原発事故の再現ドラマでしたが、まったく救いのない内容でした。これは元気がある人だけ見ましょう。でも日本人みんなに見てほしいと思う作品でした。地面師たち、極悪女王も面白かったですが、やはりこっちを見てほしい。私たちはいつまで原子力発電を使い続けるのでしょうか。
衆院選も間近です。この本(スマホに召集令状が届く日)を読むとどうにもならない諦めに似た気持ちになります。「人は真実を聞きながらない。不快になるから。わかりやすいファンタジーが好まれる。わかりやすい成長、わかりやすい問題、わかりやすい恐怖、わかりやすい敵」。そんなことをユヴァル・ノア・ハラリがYouTubeで言ってました。そして「ほとんどの人は良い人々だ。だが悪い情報を与えたとき、人々は悪い決断をする。問題は情報だ」「強さとは、物事を隠すことなく、真実と向き合うことだ」とも。
ささげを中国家庭料理の【酸豆角】←スパイスの塩水で2週間くらい乳酸発酵させたものをホアジャオ醤油で炒める料理にしました。ささげ栽培しても、だいたい毎年実がならない(そもそも花が咲かない)。たまに実り年はあるけど、だいたいツルボケして終わります。どうしたらうまく育てれますかね。来年は早い季節に作って、セットに入れてお客様にこの料理を食べてもらいたいと思っていますがさて。
秋の夜長に読書。2000年に発行された本だけど、心に残る内容だったので保管してあり、ふと読み直す今夜。
以下引用
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紙幣発行が何をもたらしたのか?一つの実例が、ビングヴァンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹までも採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。
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私が読んだあらゆる経済理論も、原料はそれが作業過程に入って初めて経済的要因とみなされます。換言すると、地中に眠る原油はまだ経済的要因とはみなされないわけです。熱帯雨林は、それだけではまだ経済的要因ではありません。伐採され、製材されて初めて経済的要因となります。ここで問われるべきは、私たちはあたかも短期的利潤のために、おのれの畑を荒らし、土壌を不毛にしている農夫と同じことをしているのではないかということです。私たちは世界の自然資源が、資源の段階ですでに経済的要因であり、養い育てられなくてはならないことを学ばなくてはなりません。現在大きな利を得ているのは、非良心的な行動をする人たちで、件の農夫のように短期的利潤のために、土地を破壊するような行動が利を得るのです。四年に一度は畑を休ませ、化学肥料を使わず、自然の水利を使ってという責任感の強い農夫は経済的に不利になるのです。つまり、非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのがいまの経済システムです。この経済システムは、それ自体が非倫理的です。
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引用終わり
ほとんどの人々がお金に依って生き、経済システムがもたらした豊かさを享受しているものの、人間同士の苛烈な競争に負け続ける人々は貧困に陥ったり短い生涯を閉じたり、物を言わぬ自然資源は次々と搾取され、動植物たちは住処と命を静かに失っていく現代。
今来ているアメリカのウーファーさんの地域の最低時給は、日本の最低時給の倍だそう。同じ仕事内容でも場所が変われば所得も変わります。もちろん日本よりも安い賃金の国はまだまだあるけれど、日本はどんどん相対的には経済的に貧しくなっています。
政治家には法やお金をコントロールする権限があります。そして私たちには政治家を選ぶ権限があります。昔の庶民にはなかったけど、その権限を勝ち取った先人がおり、投票に行くことは、そんな先人への感謝を捧げる墓参りに似た気持ちもします。
自分の投票だけでは何も変わらないけれど。でも世界には沢山の「自分」がいます。そして自分は変わり続けています。東京都知事選に出た安野さんの衆院選のAI分析が面白かったです。偏りが排除された民意が掘り起こされていて見やすくなっています。私達に最適化されたスマホが流す情報は偏りがちですが、これから私達はAIの力で俯瞰的なものの見方や長期的な展望を取り戻していくのかもしれません。
いつかAIが経済と自然を調和させる方法を提示し、政治家がそれに従う未来が来るのかもしれません。でもAIに言われるまでもなく、私たちがそれを実現できたらなお良いと思います。