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ドーパミンとオキシトシン

by 豆野 仁昭
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種まきシーズンですが、まだまだ気温が高いので、虫害に合わないように、慌てずゆっくり少しずつ種を蒔いています。でも周りを見ると焦りそうになります。でも20年ちょいやってきてようやく、大成功や大豊作を望まないでいられるようになりました。そこそこでいいんです、そこそこを狙うのです、自分は。

息子が修学旅行へ行っているので、静かで散らからない我が家かと思いきや、そのぶん田雨ちゃんが散らかしてくれています。ワガママばかりでいつも私達をイラつかせる坊やがいないことに一抹の寂しさを感じますが、まあ今夜には帰ってくるので、きっとまた明日には私たちはイライラしているでしょう。面倒くさいと思える事は、見方や角度を変えれば案外楽しいことなのかもしれませんね。でも体力大事!


定期的に野菜を取ってくれている @at.the.table.est2015 の今週末のイベントで、うちの野菜も料理してもらえるようです。先日わざわざ @chujojunko さんと @beard_shin_harakawa さんにお越しいただき、農業や食の話を沢山して、新しい知見発見や心のエネルギーチャージができました。僕も22日にふらっと遊びに行かせてもらう予定なのでとても楽しみです。

原川さんに「農業で喜びを感じるときはどんなとき?」と聞かれたとき、「畑のちょっとした変化を感じるとき」とすっと答えました。自分の考え方の変化に対し、何か自分も歳をとったなと感じたし、まあいい歳の取り方なんじゃないかなと思いました。

先日、我が家に立ち寄ってくれた順ちゃんと原川さんのイベントでランチを頂いてきました。この界隈の料理家さんたちのフットワークはほんとに軽くて、みんな色んな所に行ってコラボして、様々な地域を見て、互いの料理を見習い、知識や哲学を磨いている、そんな印象を受けていましたし、実際にお二人とお話してみて、見ている景色や未来への希望など、感じさせてもらうことができました。

お二人から私達のような有機農家への期待だったり、応援していきたいという気持ちをとても感じました。私達も若い人たちを応援していきたいという気持ちも常々あるのですが、農業を生業にしていくのは困難な時代だと感じています。社会全体の有機農業の認知度や肯定感は、自分が始めた20年前から大きく変わりました。小さな有機農家がどんどん増えていきましたが、今は横ばいか右肩下がりな感じがします。政府の農業政策も大規模化や機械化、雇用への補助ばかりです。小規模農家が利用できる補助金はほぼありません。大きな設備投資と借り入れに耐えられる農家だけ生き残っていく流れです。

社会のさまざまな場面でインフレ傾向を目の当たりにする毎日です。食料品も値上がりしていますが、農家はどんどん減っています。食費は支出を抑えやすく、誰もが大体の相場感を持っているので、価格競争が厳しい業界です。でもスタバのコーヒーが500円でも沢山の人に愛され飲まれていますが、有機栽培のご飯1杯が500円だと中々食べてもらえません。健康な人には、健康の価値は自覚しにくいものです。環境問題も同じようなものかもしれません。

幸せにもいくつか種類があります。美味しいものを食べる、運動する、音楽を聴く、スマホでゲームするなど、私たちはドーパミン由来の幸福感に依存しすぎているようにも見えます。ハグやスキンシップ、深いコミュニケーションや感情の共有、信頼関係の構築、協力やボランティアなど、オキシトシン由来の幸福感を求めていくことが、自然環境の価値を見直すことに繋がったり、私たちの生活に潤いと暖かさを与えてくれるのではと考えるこの頃です。

龍城さうなにも寄ってきました。古い銭湯を改装してできたサウナです。リノベーションにも結構お金がかかるし、なるべく予算を抑えて改装してありました。所々目に付くボロさも、歴史を感じると同時に、自分自身のボロさを肯定できるような、不完全であることの心地よさを感じさせてくれ、サウナの効果も相まってリラックスすることができました。もちろん清掃はしっかりとしてあって、ボロさが肯定されるのも、働く人達の前向きな気持ちと努力が感じられるからだと思いました。若い人たちのこういうバランス感覚を見習いたいです。

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