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町でいちばんの美女 C・ブコウスキー

by 豆野 仁昭
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いい政府などというものはない。あるのは悪い政府と、もっと悪い政府だけだ。

なにをやったって時間の浪費ではある。よほど素晴らしいセックスに出会うとか、いいものが書けたとか、夢幻のような愛に包まれたとかいうのでないかぎりは。

無感覚になったり恐怖におびえたりしながら、失敗をくりかえす人生というのがあったっていいではないか。問題はどこを見るかで、私はうわっつらはどうでもいい。私は自分を見つめる。

工業的な成功をおさめることを農民は理想としている。

犬の糞を除いたら私の糞がいちばん臭い。

人生の意味を知ってるのは、貧しい者だけだ。金持ちや生活に心配のない人々は、ただ推し量るだけである。

いまでは一瞬の死は珍しくない。にもかかわらず、われわれはなおも進歩を信じて改良を重ねていく。図書館は書物でぶくぶく太り、着膨れ、蚤がたかっている。優れた絵画には何十万ドルもの値がつき、医学は人間の心臓を移植している。道を歩けば狂人とまともな人間の区別はつかない。そのような状況にあって、われわれは突然、自分たちの命が愚かな連中の手中にあることに気づくのである。

私はこれからも娼婦や競走馬や酒とともに時を過ごしたい。そうやって迎える死は、自由だ民主主義だ人道主義だ、といった言葉で飾られたどんな死よりも、自分の死に責任を持てるという点で、私にはずっと誠実なのである。

人の食べ物に寄せる思いの深さは知っている。私には退屈だ。液状であればいいんだ。

女は、男が無関心でいるときに近づいてきて真価を発揮する。つまり男からしぼりとる。男の強さなんて意味をなさないのだ。

精神病院にいくよりは二日酔いになるほうが、ずっとましだよな。

貧しい男たちになにができるというんだ?女どもはふつうの労働者には目もくれない。女たちの関心の的は医者や科学者や、弁護士やビジネスマン、そういった手合いだった。われわれがどうにかできるのは、そういった連中に捨てられた女たちで、もはや女とはいえなかった。使い古されて、醜くなって、病気持ちで、そして頭がおかしくなっていた。

みんな覇気がなく、あたりまえで行儀がいい。

かつてどれだけの男が、自由に生きただろう。半生とはいわず、もっと短い期間でも……。

人はきれいな嘘を好む。

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