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イチロー 262のメッセージ

by 豆野 仁昭
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夢をつかむことというのは、一気にはできません。ちいさなことを積み重ねることで、いつの日か、信じられないような力を出せるようになっていきます。

たのしいというのは、決して笑顔で野球をやることではなくて、充実感を持ってやることだと解釈してやってきました。ここに辿りつくまでのこをを、いわゆる「たのしんでやる」というような表現は、とてもできません。

ぼくは、期待があろうとなかろうと進むタイプです。ぼくは、やりたいと思ったことはやりとげたいほうですし、まわりの人がいようがいまいが、そのことは変わりありません。

あこがれを持ちすぎて、自分の可能性をつぶしてしまう人はたくさんいます。自分の持っている能力を活かすことができれば、可能性が広がると思います。

チームに乗せてもらうことはありますが、そういうときは少ないのです。チームの流れとは別のところで、自分をコントロールしてきたつもりです。

勝てなければ意味がないということは絶対にありません。自分の成績がよければそれでいいというわけでもありません。どちらも別のものとしてとらえています。

いろいろ考えてしまうのが人間ですが、でも、それも含めての「力」ですから。

気持ちの面で、前の打席が関係ないということは、どの打席でもありえません。

第三者の評価を意識した生き方はしたくありません。自分が納得した生き方をしたいです。

チームの調子が悪くても自分が崩れることは考えません。集中してやっているので、余計なことは、考えません。

求めるのはフォームではなく技術です。技術をどれだけ磨くことができるか、どれだけ技術を完成できるかどうかが大事なのではないでしょうか。

自分が見えていない経験からは、客観的に自分を見なければいけないという結論に達したのです。地に足がついているかどうか、ちゃんと見ていなければいけません。

プレッシャーのかかる感じはたまりません。ぼくにとっては最高ですよね。ものすごく苦しいですけど。ドキドキする感じや、わくわくする感じが、勝負の世界にいる者の醍醐味ですし、それがない選手では、まったくつまらないですから。

自分の思ったことをやりつづけることには後悔がありません。もしそれで失敗したとしても後悔は絶対にないはずですから。

進化するときというのは、形はあんまり変わりません。だけど、見えないところが変わっています。それがほんとうの進化じゃないですか。

なにかをしようとしたとき、失敗を恐れないで、やってください。失敗して負けてしまったら、その理由を考えて反省してください。かならず、将来の役に立つと思います。

自分のプレイに驚きはありません。プレイそのものは自分の力の範囲内です。第三者からこれだけの評価を受けたことに驚いています。

自分のやっていることは、理由があることでなくてはいけないと思っているし、自分の行動の意味を、必ず説明できる自信もあります。

初心を忘れないことっていうのは大事ですが、初心でプレイをしていてはいけないのです。成長した自分がそこにいて、その気持ちでプレイしなくてはいけません。

(勝負の世界で、他の選手に足を引っ張られる危険を防ぐ方法について)勝負の場で力の差を見せつけるのがいちばんです。野球に限らず何でも実力の差を見せてしまえばいいと思います。

考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになります。

ぼくは、次に起こることは何か、いま何をすればいいのか、いつも考えます。ムダというか、生かされないことの方が多いんですけどね。これからもムダなことをたくさん考えて、そこからあたらしい何かが見えてきたらうれしいです。

決して、人が求める理想を求めません。人が笑ってほしいときに笑いません。自分が笑いたいから笑います。

自分の生きかたっていうのをしっかりと持って、まわりに流されずに、強い自分でいたいと思います。

ひとりの人間のできることは、かぎられています。

自分の体でたいへんな苦労をした方には、かないません。

ミスショットの原因は気持ちの中にあると思っていたのです。だけど違っていました。技術によるものでした。

自分が作りあげてきたものを崩すわけにはいきません。自分の技術を支えている気持ちがきれると不安が出ますから、それだけはしてはいけません。

キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。

常に、先のことを予測する習慣をつけることは、大事だと思います。その習慣が、一瞬の大事なときに生きます。ムダになることもたくさんありますし、自分が絡んでいないプレイでたくさんの予測をしているとすごく疲れるのですが、自分が疲れるからといって投げ出してしまっていてはプレイヤーとしての能力も止めてしまいます。

たくさんの予測をすることを常にやって、それを「ふだんどおり」というふうにしていかなければ、特別なプレイというのはできません。特別なことをするために特別なことをするのではないのです。

いままで自分がやってきたことを、しっかりと継続することが、イチローという選手の能力を引き出すためには、はずせないことです。

自分の器が広がっているとは感じていません。自分の能力をどれくらい発揮できるかが変わったと思います。

過去のつみかさねがどれだけ大事なものかは、感じています。それがなければ、今の技術や精神は作られなかったのですから。

いま、自分がうまくなっているとは、まったく思いません。ただ、ここまで自分を高めることができたと思っています。

いかに、いい成績の記憶をふりはらうかということは大事でしょうね。そういうものを背負うと、自分を苦しめることはわかっていますから。

自分が変わろうとすることは、なにもありません。いまある能力を、しっかり出せる状態を常に作っておくことが、これからも、ずっと目標になると思います。

自分たちを客観的に見てやるべきことをやります。それは、どんなときにも変わらないものなのです。

ハイレベルのスピードでプレイするために、ぼくは絶えず体と心の準備はしています。自分にとっていちばん大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。

準備は、打席に入る前に汗だくのTシャツを着替えるとか、スパイクに泥が詰まっていないかチェックするとかいうことです。精神状態は、多くの準備のうちのひとつに過ぎません。

他人が絡んでいることには興味はありません。いまの自分の力をどれだけ出せるかですから。

見ている人がたのしむのは勝手ですが、相手が絡むことに関してコントロールすることは不可能だと思います。自分ひとりで管理できないことを意識することはできません。

ぼくは、1試合、1試合、ふりかえっています。まとめてふりかえることはしません。

びっくりするような好プレイが、勝ちに結びつくことは少ないです。確実にこなさないといけないプレイを、確実にこなせるチームは強いと思います。

準備に集中することができました。それがすべてだと思います。

まず、体をゆっくり休めて、野球がやりたくなるまで待ちます。

やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もありません。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っています。

野球がうまくなる環境が作れるなら、投資をします。家は、そういうものです。

手ごたえがあったり、そうだと思っていたらちがったり。そのくりかえしです。いつも前に進んでいたら常に打てることになりますから。

やらされる練習じゃなければ、いろんなことが、うまくまわってきます。

手入れをしたグラブで練習したことは、体に、かならず残ります。記憶が体に残ってゆきます。汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。

打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。勇気を持ってバットから離れないと、もっとこわくなるときがあります。そういう時期にどうやって気分転換をするかは、すごく大事なことです。

ヒットが出ないときに選手がどういうことを考えるかというと、常にバットを握っていたい、それで何かを見つけたいということですが、そういうことをすると、結局、きりかえができなくて、もっと苦しくなっていきます。気分転換は野球選手である以上、永遠に持ちつづけるテーマです。

結果が出ず、その原因がわからないときは、不安になった。

いろいろなこわさを知って、そのこわさを乗りこえて、自分の技術を確立して残した数字は、重みが違います。

ぼくのいちばんの目標は「あれをやっておけばよかった」ということがないようにすることです。そこにはいつも手抜きがありません。

妥協をたくさんしてきたし、自分に負けたことも、いっぱいあります。ただ、野球に関しては、それがないというだけで。

野球は失敗のスポーツです。どれだけがんばっても、先はないのです。

自分が自分でなかったことに、気づけた経験がなくては、今の自分はいないのです。つまり当時は、自分がやっていること自体よりも、世の中の人に評価をされることを望んでいた自分がいたということです。

ヒットをたくさん打つようになってからは、甘い球を待てなくなりました。むずかしい球が来るまで待つという姿勢になっちゃったんです。特定の球を狙わなければいけないような体の使い方では打てなくなりますからね。予想外の球がきても、そこから立て直せるかどうか、その体の使い方が大事になります。

打撃投手が必要なのは、自分のスタイル、「形」ができるまで。打ち込みが必要な時期までです。その後はそれほど、打ち込む必要はないのです。それができるまでは、打つことによって何かを見つけなければいけないのですが。

チームの役割が確立できていないというのは、「形」ができていない、ということです。

相手が強い気持ちをこめて自信を持って投げこんでくる球というのは、バッターが受け身でいたら、打てる球でも前に飛びません。

相手にスキを見せると、とにかくそこを攻めてきます。バッターの穴が見つかればそこばかりを突いてきますから。

プレイを見るだけで、なにを語ろうとしているかわかる選手は、かっこいいと思います。

精神の成長については、証明できないので、はっきりこれだとはいえません。自分で作るものでなく、経験を経て勝手にそういう状態になるものですから。

中学生の頃、自分ができる限りの勉強はしました。でも、1番にはなれなかったのです。学年で7番とか8番にはなれでも、決して1番にはなれなかった。それで、勉強をあきらめました。野球はみんなが一生懸命やっていて、ぼくは適当にやっていました。でも断然トップでした。野球だったら、好きだしおそらく1番になれるだろうと。

自分以外の人たちが作る状況によって、自分が幸せに感じられる、嬉しく感じられるとは思いません。

バッティングセンターを作ったとしたら、ぼくは必ずそこにいます。人に任せることはしません。

結果とプロセスは両方とも大事です。結果を出せないと、この世界では生きていけません。プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。

見えるところではなくて、見えないところを見てもらわないと、選手としてもつらいし、見ている側も、つまらないですよね。

これでいいやってならない理由は、ぼくの場合は、野球が好きだからです。

ぼくは天才ではありません。なぜかというと自分がどうしてヒットを打てるかを説明できるからです。

キライなことをやれといわれてやれる能力は、後でかならず生きてきます。

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