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進化しすぎた脳 池谷裕二

by 豆野 仁昭
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実際の人間の目は、世の中に存在する電磁波の、ほんの限られた波長しか感知できない。
世界を脳が見ているというより、脳が(人間に固有な)世界をつくりあげている。

錯覚、盲点、時間の埋め込み、色づけ・・・。
「私」という存在は、その脳の解釈を単に受け取っているだけであって、脳が解釈したものから逃れることはできない。

「感情」は無意識。意識的に変えられない。

(表情は)呼吸と同じで、意識と無意識の中間。

言語として存在しないものは連想しにくい。
その人がどういう言語を使っているかによって固く縛られている。
思考が束縛を受けている。

扁桃体がなくなって「こわい」という恐怖の感情が消えると、本能がむき出しになる。
動物には「本能」の欲求がまずあって、それを「恐怖」によってがんじがらめにした状態が「理性」ということになる。

記憶というのは正確じゃダメで、あいまいであることが絶対必要。
100%完璧な記憶というのは意味がない。だって、同じ状況というのはもう二度とこないんだから。
だから、人間というのは見たものそのものを覚えるんじゃなくて、そこに共通している何かを無意識に選びだそうとする。

下等な動物ほど記憶が正確で、つまり融通が利かない。しかも一回覚えた記憶はなかなか消えない。
人間の脳では記憶はほかの動物に例を見ないほどあいまいでいい加減なんだけど、それこそが人間の臨機応変な適応力の源にもなっている。

そのあいまい性を確保するために、脳は何をしているかというと、ものごとをゆっくり学習するようにしている。特徴を抽出するために。
記憶を保留する。そうやってゆっくりゆっくり脳は判断していく。もちろん無意識に。

体の細胞は2~3ヶ月も経つとかなり入れ替わる。
脳はそれを排除している。自分がいつまでも自分であり続けるために神経細胞は増殖しない。

神経細胞にとってもっとも重要なイオンは「ナトリウム」。それと塩素イオン、カリウムイオン。その3つを神経細胞は大量に使って、それをうまく組み合わせて「電気」を起こしている。

いま人間のしていることは自然淘汰の原理に反している。現代の医療技術がなければ排除されてしまっていた遺伝子を人間は保存している。この意味で人間はもはや進化を止めたと言っていい。
その代わり、自分自身の「体」ではなくて「環境」を進化させている。

人間の欲望が進化の法則になろうとしている。

自然淘汰というのは進化のプロセス。でも現代では、進化のプロセス自体が進化しはじめた。新しい進化法が生まれようとしている。

いわゆる「心」を生み出すのは「言葉」である。極限すれば心は咽頭がつくったとも言える。

「見る」とはものを歪める行為 - 一種の偏見である。
二次元の網膜に映ったものを、脳は強引に三次元に再解釈しなきゃいけない。
「見る」という行為は、おそらく人間の意識ではコントロールできなくなってしまった。無意識の現象だ。僕たちは脳の解釈から逃げることができない。「見える」というクオリアは脳の不自由な活動の結果なんだ。

盲点は本当は見えないところなんだけれども、勝手な想像で見えちゃう。
思考についても、人間はたぶんわからないことを勝手に想像して埋め込む。何かわかんないと思ったら、きっとこうなってるだろうと勝手に思い込む。それで、「あっ、こうすれば、うまくつじつまが合うじゃん」というのをみんな無意識のうちに日常の生活でやってる。

「科学的なら信じる」という、その「信じる心」って一体なんですか、と。
「科学的」」というのは、自分が「科学的」だと信じて、よって立つ基盤の中での「科学的」。そう考えると、科学ってかなり相対的で、危うい基盤の上に成立している。

同じような赤に見えているつもりでも、実際、光の波長が全然違うということはよくある。
赤の知覚の恒常性がどのくらい現実に即しているかは、実際にはわからない。
「自己の恒常性」というか、僕たちを存続させている自己というのはどのくらい安定なものなんだろう。案外、危ういものじゃないだろうか。でも、自分ではそれに気付くことはできない。

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