Home 日誌日常 奇跡の経営 リカルド・セムラー

奇跡の経営 リカルド・セムラー

by 豆野 仁昭
0 comment

[amazonjs asin=”489346941X” locale=”JP” title=”奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ”]

一週間毎日が週末発想とは、仕事の時間とプライベートの時間をうまく融合させた、新しいやり方。仕事を楽しみ、仕事への情熱と個人生活の情熱のどちらも満足させる真のあり方を提示したい。仕事に対して抱いている従来のイメージ「単純な繰り返し作業、退屈、激務」を、「仕事=心から楽しく、幸せと自由なもの」に代えるだけのこと。

これからは、旧態然としたビジネスのやり方は、確実に廃れる。そして、その時期が早ければ早いほど、企業にとっても、企業で働く人、社会にとっても好ましいものだと確信している。わたし達の生活や仕事のあり方を変えてしまう「状況の変化」に対処するには、コントロールをやめることが絶対的に重要だ。

コントロールに執着することは、妄想だ。コントロールのメカニズムが厳しさを増すにつれ、ビジネスの本来の目的「関係するすべての人の満足感、価値ある人生、そして、投資と労働に見合う報酬の提供」から遠ざかってしまう。

組織階層がなく、公式の組織図が存在しない。ビジネスプランもなければ、企業戦略も、短期計画、長期計画もない。会社のゴールや企業理念、長期予算もない。決まったCEOが不在ということも、よくある。副社長やCIO、COOがいない。標準作業も定めていなければ、業務フローもない。人事部がない。キャリアプラン、職務記述書、雇用契約書がない。誰もレポートや経費の承認をする人はいない。作業員を監視・監督していない。

社員は、自分の興味と直感に基づいて、仕事やプロジェクトを選択する。我々は、社員に会社の目標を達成することを試みる前に、自分のやりがいと満足感を求めるよう言ってある。

人は一人前の大人とみなされているのに、それが職場になると突然、半人前の若者のように扱われてしまう。なぜ自分たちのリーダーを選ぶ場に、社員は参加できないのか。なぜ、社員が自らを管理してはいけないのか。もっと主張したり、挑戦したり、質問をぶつけ、オープンに情報を共有することがどうしてできないのか。

自分の直感を大切にして、チャンスを生かし、工夫して、プロジェクトや事業を決めてほしい。社員に、自分の真の才能は何なのか、そして自分がやりたいことは何かを見つけることが出来るように、そのための余裕と機会を与えてあげる。そうすれば、社員の個人的な抱負を会社の目標と合致させることができ、それによって、自然にバランスはとれてくる。社員がひとたびやりがいを感じ、活気づいて、生産的になると、彼らが自ずと会社に利益をもたらす。

最小限の価値観を共有している、ビジネスの同盟グループ。

高度な技術を要するもの、参入市場において質の高い企業になること、その市場において我々がユニークな存在価値を持つこと。これらの3つの基本的な条件を満たし、どの分野でもオンリーワンの存在になることを目指す。我々がいなくなることで、クライアントががっかりし、声を大にして不満を訴えるような会社にしたい。

我々の活動の根底に戦略があるとすれば、それは、どうしてなのか、その理由を問うこと。常に質問する。いつでも、毎日、特定のことについて、連続して3回は質問するようにしている。質問することは、アイデアの硬直や、丸暗記の回答をすべて捨てさせることにつながる。こうした習慣こそが、会社が長期に存続し、成長を遂げ、利益を生む秘訣。

わたし達は、口を開ければ、家族と過ごす貴重な質の高い時間こそが、最優先事項だと言っている。

人は、より生産的に、目標に向かって働き、家族を養い、未来を築くようにできている。

工場の組み立て工程でも、フレックスタイムの導入は可能。なぜなら、働いているのは立派な大人だ。その大人である作業員が、どうして業務に支障をきたし、自分たちの仕事を危うくするような行為をするというのか。私は、アセンブリーラインで働く作業員自身が、スムーズに作業できる形で、フレックスタイム制を導入していくと確信していた。結果は、プログラムを導入する前日、作業員は、関係者に、翌朝何時に来るのかと自主的に聞いて確認していた。

責任感のある大人が、会う約束をした後で、理由もなく、それをすっぽかすことなんてない。

マネージャーは、社員が会社のために行っている本質的な部分にだけ関与している。最も困難なことだが、我々が改革の過程で行ったことは、コントロールをやめることだった。勤務時間の標準化を推進することで、逆に生産性が下がってしまうこともある。我々は、社員がベストな状態で働くことを阻害する要因を取り除くために、ルールを変えるようにしている。生活のバランスを阻害するルールは持たない。

会社のゴールは、社員のために、「生活」と「生計を立てる」ことの2つを、1つの同じものにすることだ。社員が製品やプロジェクトに興味を持たないビジネスは、どんなものであっても絶対に成功しない。自分がやりたいという意欲を持てない仕事は、はじめからするものではない。社員を最優先に考えるからこそ、彼らの中に、最高の仕事をしようとするやる気が起こるものだと信じている。

社員が成功することで、企業も成功する。また、社員全員が、仕事に情熱を持つことを期待してはいけない。すべての仕事が、情熱をもつに値するものではないという現実に目をそむけてはいけない。人の興味というのは、高まることもあれば、低くなることもある。そういうサイクルがあることを理解しておく必要がある。

社員が、仕事の範囲を自分自身で決めることができるのであれば、仕事に対する満足度はかなり高まる。我々は、社員に、仕事の責任範囲を押し付けることはしない。一人前の大人として、彼らは、仕事で何をすべきかを理解すると信じているし、ガイドラインなどない方が、彼ら自身が自分のすべき仕事の範囲を、試行錯誤しながら学んでくれる。社員は自分の仕事の内容を、自由に決められる。場所、働く時間、給与の額までを自分自身で決めている。

人々の生活を改善する機会に恵まれることは、ほかの会社で3倍の給料をもらうことよりも価値のあるものなのだ。これこそが、まさに「天職」を意味する。

「現在、セムコ社には空いているポジションはありません。でも、とにかく応募してみてください。来社いただき、会社のためにあなたができること、そして、どうやったら会社が、そのポジションをつくり出せるのかご提案ください」
我々は、人を会社に惹きつけ、応募者の天賦の才能と会社のニーズを合致させる方法を常に模索している。雇用形態としては、手数料制や歩合制、成功報酬、業務委託といった形をとる。

人は、自分自身と家族の繁栄を求める。だからこそ、人は人生の目的と合致する天職を必要とする。才能を発見するためのプロセスは、その人だけでなく、会社にとっても大きな価値のあることなのだ。

我々は、誰もが、一生を賭けてでも追い求める価値があるものを知りたい、かつ、それを必要としていると考えている。

人が持てる最高額の富は、1200万ドルである。人は不釣り合いな家では、居心地よくなれない。大金持ちになると、その金額の持つ意味はすべて同じ。それ以上にお金を持つことで、彼らが本当に必要としているものを手に入れることができるということはない。

今日では、優良企業をオーケストラのシンフォニーになぞらえることが多くなった。オーケストラを奏でるまでには、何時間もの練習や難しいメロディーを覚えたり、尊大な指揮者に合わせる努力、そして、演奏家間の口論や中傷、賃金の問題などがあり、決して平たんな道のりではない。オーケストラの場合、演奏家は、共通の楽譜を見て演奏する。企業の場合、その楽譜にあたるものがミッションステートメントである。オーケストラのゴールは、演奏家としての成長と満足感を求めながら、聴衆のために音楽を奏でることだ。企業におけるミッションは、オーケストラと何ら変わることはない。自動車を製造することと、モーツァルトを演奏することは、同じことなのだ。オーケストラの演奏家がプロとしてのスキルの向上と満足を求めるように、会社は社員が仕事への興味と能力アップを追求したくなるよう支援しなければならない。

セムコには、ミッションステートメントもクレドもないが、生き残るためのマニュアルがある。職場の仲間がお互いに注意しあうことは、上司への報告を徹底したり、監査を厳しくするのと同じ効果がある。

監査や管理は、人は悪意を働くことを前提とした行為であり、それはすなわち社員を信頼していない証拠だ。

会社がさまざまな機会を社員に提供して、彼らが仕事・職場を自由に選択することを容認すると、社員は自分の可能性を求めて天職を発見することが可能になる。ベテランと新人の机を並べるように配置するのは、新人にできるだけ彼の経験を教えてほしいから。そうすれば、彼らはお互いに学びあうことができる。そして、社内には人材と経験に基づいた知恵が残り、それが社内に文化と会社に必要とされる最小限の価値観を生み出す。たとえ最小限の価値観であっても、それが社内でお互い一緒に働きたいという動機・理由になればよいのだ。

誠実であることは、最低限の守られるべきルールだ。

経営者がわざわざ会社の価値観なるものを書き出す必要もない。共有の価値観は、何年もかけて自然に育まれるものだ。ある日、気がついてみたら、皆がそれに従っている、そういうものだ。

コントロールをやめることは、すなわち情報の独占をやめることでもある。2週間前のプレゼンテーションは、1か月前の新聞と同じようなものだ。オープンコミュニケーションは、多少の代償があるにしても、実施する価値のあるものだ。それは、組織内に共有文化を育むための核になるほど重要なものだ。給与がタブーなトピックであるとするなら、どういう情報が制約のないものなのだろう。組織における唯一のパワーの源泉は情報だ。Eメールを制限したり、それに手を加えたりすると、不正な権力の温床になる。他人が知らない情報に通じている人がいる。会社は、こうした温床を取り除き、社内の不満や口論、権力闘争の元凶を断っておくのだ。

自由の意味を正しく理解できない人にとっては、自由=混乱であると解釈してしまう。クライアントに完全に率直に向き合うことが、結果的に最も生産性を高める方法であると実感している。これまでに幾度となく、クライアントに我々の利益予想を見せてきた。相手は、まさかと驚きますが、このあとには、大抵よい結果が生まれる。

社員は、会社の実態を知ることで、より長く会社で働くことを希望し、景気の変動に対しても正しく理解を示すようになる。

民主制度のもとでは、異なる意見・考え方があるからと言って、それを無視したり処罰してはならない。時には、会社に不満を述べて組織をかき乱すようなことがあるかもしれない。それでも、当の本人を罰してはならない。それを罰してしまえば、民主制度はその瞬間に崩壊し、誰も自分の意見を言えなくなってしまう。人はそれぞれ見方、考え方、意見が異なるものであり、どんな主張にもそれなりの根拠があり、何が正しく何が間違いであるなどと判断することはできない。

セムコでは、社員の席は決まっていない。なので、毎日、年齢や経験の異なる人と隣り合わせに座ることになる。また、ジョブローテーションによってメンバーが頻繁に入れ替わることで、部門ごとに特有の考え方がなくなっていく。人は、外見が同じようにみえる必要もなければ、同じように働く必要もない。こうすると、社員の中に、他の部門の立場を理解し、擁護する考え方が育ってくる。なぜなら、自分が希望して別の部門で働いた経験を持つ人が増えるからだ。この結果、社員は、他人に対して理解する心をもつようになる。

画一性は、会社にとっては危険この上ない。セムコには、すべての人を受け入れる場所が用意されている。

石器時代には、新参者を受け入れるときに、すべてグループの承認に基づいて決定がなされた。集団面接を何度も繰り返すことで、面接を終えるころには、志願者は、会社との相性と自身の目標と会社の目標とのバランスを理解するようになる。こうして職を得た新人は、職場に来た初日であっても、すでに自分のことを知っている親近感を持てる相手が身近にいると感じるのだ。そして、周りの人は、彼をチームに迎え入れ、彼の仕事がうまくいくようにサポートしようとする。雇用までの期間としては、時間がかかるかもしれないが、そのあとに生み出される生産性と持続性は、その損失した時間を大いに補って余りあるものになる。

異なるバックグランド、価値観、考え方を持つ人を交流させることで、そこには常に文化の発展がみられるようになる。社員の締め付けをやめ、コントロールを排除することが、生産性を格段に高める。社員が、自らが働くことに価値を見出し、朝起きて仕事に出かけようとする意欲を持つことが、唯一生産性を高める方法なのだ。

何十人もの人とうまく折り合いをつけることは誰もできない。人が通常、対処できる人の数は最高6人。6人から10人で構成されるグループであれば、お互いをよく理解することができるため、外部からコントロールする必要もない。6人6グループのほうが、36人1グループより好ましい。

人の行動を監視することは、窃盗よりも危険な行為だという信念を持っている。

もしそのプロジェクトやミーティングに興味がないのなら、その分のエネルギーを他のもののために取っておくべきだ。

私は、他の誰かができる仕事はやらないようにしている。経営者としての私の役割は、会社におけるすべてのことを1から見直すように促すことだと考えている。

リーダーが英雄になったとたん、社員が上部に権限を譲りはじめる。そして、リーダーは、常に天才だと描写される自分の評価を信じるようになる。やがて、リーダーは、自分の部下を、自分の価値観や考え方、情熱のあらわれであるミッションに、自動的に従う使用人とみなすようになる。社員の意見を聞いた、確かに聞いたのだけれど、結局は自分の考えに従って行動してしまっていては、意味がないことに気付くべきだ。

状況が変われば、リーダーシップのあり方も変わらなければならない。状況に即したリーダーシップは、どんな状況が変わろうとも不変だ。それはコントロールを放棄することなのだ。

何をするかが重要視される。決してどんな立場で、誰を管理しているなどということは重要ではない。

私の人生は、さながら、行き着くところが、行きたいところといったところだろう。人生と同じくビジネスにおいても、その道程は、気ままで思いがけない出来事の連続だ。なので、自然の成り行きに任せることが一番よいと思う。

許可を願うより、許しを請え。データよりも、直観を信じる。奇抜なことを評価する。数字で経営はできない。

わが社の成功は、社員の成功のおこぼれを預かっているに過ぎない。

0 comment
0

Leave a Comment

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください